自分の心の痛みに向き合うと:55年間封印していたもの

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自分の心の痛みに向き合うと:55年間封印していたものこんにちは

東京新宿・大阪上本町で
北田心理相談室を主宰しています。
・ひきこもり専門の臨床心理士
の北田義夫です。

今日は、「自分の心の痛みに向き合うと
と題して北田自身のある体験について
お話します。

ブログもこれが40本目にあたります。
この節目に自分の心の内面を語ります。

皆さんは私の性格を「どのように思いますか」

色々な人から、自信家とか積極的だと
言われることが多いですが、実は私自身は
極めて自信がありません。

そんなことを言っても、
今では誰も中々信じてくれません。

「行列のできる臨床心理士」、
「のべ5万人を元気にさせたカウンセラー」など
と言われていますが、実のところ私にはそういう実態が
あるのです。

特に、「愛情面で自信がない」
・「愛されている実感がない」のです。

これは最近とみに身体症状に強く現れていました。
何でもない場面で左手がふるえるのです。
何か知らないけれど、ビビっているのです。

断っておきますが、
何か病気がある訳ではありません。
家族に大きな悩みがあるわけでもありません。

身体症状以外の面では、
自分の中の自信のなさが
・褒められたい願望に結びつき
とことん自分を追い込んでしまうところがあります。

自分がこういう人間だからこそ、
燃え尽きの心理について説明するのは
極めて得意です。

多様な職種の対人援助職の方がお勤めに
なっている機関からオーダーされて
燃え尽きの研修をさせて頂くことも
多くなっています。

実はこれからお話をする体験をしてから、
私の研修・セミナーや講演スタイルは一変しました。

かってお話していた心に関する内容が
余りにも表面的で稚拙、陳腐にさえ思えます。

その体験とは:ずばり「実母と55年ぶりに再会した
ことです。

”母をたずねて三千里”ではないですが、
今まで物心ついた時から強く抱いていた想い、
「僕の母親って?」を長い間封印していました。

実のところ、実母の物は写真1枚も残さず
消されていました。

そんな状況下ですので
育ての母親のこともありましたし、
私自身を守ってくれた祖母が鍵となる
人物であることにもうっすら気付いて
いましたので、その真実に向き合うことが
正直怖くて避けていました。

でも思い返せば、嫁の乳房を頬張る我が子に
不思議な想いを抱いていたのです。
あれって、嫉妬といえばピッタリ!
くる感覚です。
「羨ましい」・・・これが僕の真実なんです。

これに向き合うことが
今までは出来なかったんです。

実母は、私の父というよりも祖母に離縁されて
実家に戻されたのが真相のようでした。

でも母は一切そのことに触れず、
ただただ会えて良かったと感激の涙を
流していました。

私はといえば、「ご対面!」という実感もなく
ただただ、「この人がお母さんかー」という無機質な
気持ちでたたずんでました。

実母には、「父や祖母を許してあげてください!」
とだけお願いするのがやっとでした。
少し間を置いて彼女が深くうなづいたときに、
やっと一筋の涙が私の頬をつたいました。

まさにこの時、彼女は離れていても僕を深く愛して
いたと確信できたのです。

母と子が時間空間を飛び越えてつながった
と実感できた瞬間でした。

父親と離別後は、
すぐに再婚したと
成人後に父親の妹から
聞きましたが・・・・・

事実は6年間実家で過ごし、
連れ子のある方と再婚したそうです。
母は、私の名前(姓)が変わったと聞かされた
そうです。

産んだ子は、「義夫だけや」と言われて
何か不思議な気持ちになりました。

20年前に、嫁から「お母さんに会いに
行ったらわー」・・・なんて提案された
こともありましたが当時の僕は、
怖くていけませんでした。

私の仕事は、人の痛みに向かう作業に
同行させて頂くことです。

そんな仕事をしている人間が、
自分の問題を棚上げしているには
もう限界が来ていたのかもしれません。

それでは立ち行かないことが
症状として教えてくれていたように思います。

この体験によって、私が得たものは図りしれません。

特に自信という言葉だけでは片付けることが
出来ない”存在の意味”を感じました。

「居てて良いんや」・・・北田、ウソやろう!と
言われそうですが、本当にそのように
今思えるのです。

対面の翌日は三重県尾鷲市で講演会、
29日は新宿溝口クリニックにてメンタルヘルス
のセミナーを担当しました。

新宿では二女が、受付と動画撮影を
担当してくれましたが、両日ともに見られている
ことを気にすることなく自然な自分で対応
出来ていることに驚いています。

無理することなく、自然な姿が手に入ったとまでは
言えませんが、お陰様で確実に肩の力が抜けたと
思います。

祖母が、僕の6年間通っていた小学校で
かって先生をしていたことや
小学校3年生時の担任
の実家と関係があった
なんて聞くと・・・

人生には偶然はなく、すべて必然!である
というユングの言葉にぶち当たります。

「北田義夫という人間に、
必要なことが起こっていたんや」と思うと
今までの人生に光が射し込みそうです。

そう言えばここ2ヶ月ほどの間に
今まで会うことがなかったヒーラーと呼ばれたり
特殊な能力を持った人との出会いが相次ぎました。

実母の話をすると、「是非、会いに行ったほうが良いよ」
「貴方の誕生日です」と次々に後押しする発言が
続きました。

メンターの三宅巧一さんからは、
「左手のふるえが止まるよ」と言われました。

こうした方との色々な出会いと後押しにより
今までの自分から脱皮し、一味も二味も違う自分に
生まれ変われる予感です。

本ブログは、決して自虐ネタではありません。

むしろ、これからをより良く生きるために足跡を
残したいと思いました。

ここまでお付き合い頂き、有難うございました。

今、左手を見ると少し震えが治まっています。

皆さん、ありがとうございました。
これからも宜しくお願いします。

明日もきっと幸せな一日

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